0歳(冬)
奈良県の吉野町で生れる


7歳(秋)
少年野球チームに入団。父もコーチとなる。が、ピッチャーにした後すぐにコーチを辞める。ピッチャーにするためだけにコーチになったようだ。


14歳(夏)
4番ファーストでレギュラー定着。当時は投手よりも打者に興味があった。


15歳(春)
高校入学。野球部の練習が厳しそうだったため、山岳部に入部を決断。入部のあいさつに行くも誰もいなかったため帰宅。野球部の監督から呼ばれ、あえなく野球部に入部。


15歳(夏)
夏の県予選。一年生で唯一ベンチ入りし2イニングに登板。


16歳(夏)
夏の県予選。2回戦の途中から登板するも、勝ち越しを許し敗戦投手となる。試合後に泣いていると、監督から「泣く暇があったら練習をしろ」と言われる。も、「今日くらいは休ませて」と思う。が、しぶしぶ練習する。


17歳(春)
春の大会で奈良県ベスト4となり、夏の県予選でのシード権を得る。


17歳(夏)
不用意な1球がホームランとなり、流れが相手に変わり4回戦で敗退。ベスト8で高校野球を終える。


18歳(春)
学費が安く自宅から通える大学を選択し一般入学。国語の教員も視野に国文学を専攻する。野球部の雰囲気に馴染めず半年間練習に参加せず。その間、思うこともあり一念発起し練習再開。


19歳(春)
少ない登板機会を一つずつものにし、リーグ戦はローテーションを獲得。5試合に登板し、4勝、防御率0.96。チームはリーグ優勝し最優秀投手賞を獲得。


19歳(夏)
全国大学野球選手権大会に出場。2回戦で登板し完投勝利。チームの全国ベスト8に貢献、その後リーグ代表として対抗戦に出場。


19歳(秋)
リーグ戦で3勝するも、驕りによる練習不足から調子を崩し始める。


19歳(春)
リーグ戦0勝。初心に戻り、自己を見つめ直す。球速・制球を飛躍的に向上させ、かつ連投にも対応できるフォームを追求。研究を重ね、フォームの無理・無駄を徹底的に排除した「体重移動」フォームを構築。


21歳(春)
「体重移動」のフォーム改造が成功。6試合でフォアボール3。コントロールも安定し、リーグ戦5勝。チームはリーグ優勝し、最優秀選手となる。


このとき、社会人野球のキャンプに参加し、内定を受ける。


21歳(夏)
全国大学野球選手権に出場。1回戦は見事な逆転で勝利する。が、2回戦ではピッチャーライナーを胸に受け、救急車で病院へ。試合に負けたことを病院で知る。


22歳(夏)
入社1年目。社会人野球都市対抗出場。


23歳(夏)
入社2年目。都市対抗に出場できず、都市対抗出場のむずかしさを学ぶ。


24歳(夏)
入社3年目。都市対抗出場。


24歳(秋)
引退。


25歳
成功体験だけではなく、失敗体験も役立つのではないかと思い、ブログを書き始める。


「1日だけの臨時指導者は、選手のそれまでの経緯を知らずにフォームをさわり、いなくなってしまう。それでは教わる選手は困る。」


という自分の経験から、「常にこどもの身近にいて見守っている保護者の方が野球を学び、指導していくことが、こどもたちの上達にとって最も良い」という考えから、「お父さんのための野球教室」と命名。


32歳
キッズレーベルの藤本真さんからお声掛けをいただき、自由国民社より、初の監修書籍「おやこでキャッチボール」が出版。

35歳
フリーライター島沢優子さん、レッカ社の滝川昴さんの協力のもとカンゼン社より「少年野球で、子どもをグングン伸ばす47の教え」を出版

現在、野球教室の開催など精力的に活動中